2014年12月22日

「今自分にできることをやる」私の信念

今は一応は落ち着いている。

昨日も午後から外出したし。車(セダン)

自宅から車で約20分程度離れた隣町。

予定を終え、帰りに予定のあった場所の
隣のスーパーで
写真立てのキッドを購入してきて、
早速帰宅後、自宅で作ってみた。

マニュアルどうりではなく、
いつもながら私流アレンジ。

アレンジ大好きの私。

だいたい人生も同じ。

筋書通りに、ほとんどいかない。

横道それる人(笑)

様々なことをしてきたのも創作意欲の強い人?
想像力が強いからかなあ?と思ったり。

目の前にリアルにイメージが見えることもある。

苦しいときは苦しいが、
幸せなときは、この上なく幸せ、幸福感。

見たこともない素敵な洋服、アクセサリーの
デザインが目の前に見えるときがあり、
ああ、これこのまま写メに写せたらいいのに〜と思う。

なぜだか自分の作った物、
作り上げたものをかたっぱしから無くしたり
壊したりという業を持ち合わせているようで、
ことごとくなくす。

先日は数百はあるであろうLINEの記事を全部無くした。

みごとにアイフォン5を玄関に落下。

すべて中身は削除。ふらふら

移し替えららたのはアドレスとメールくらい。

あと写真。

LINEの記事はすべて消えた。

友達とのやりとりも。

また新たなアイフォン6を購入したので
一からやりなおし。

ただ、自分が頭つかった分
自分は磨かれているから
あまり気にしてない。

世は無常だし。

死んでいくときは、この体も頭に入れた
教養もすべておさらばだ。

何もかも置いていかねばならない。

身に着けていかれるものは一つとてない。

文字道理、生まれる時も裸なら死ぬときも裸だ。

亡くなった父とは、よくそう話したものだ。

しかも、80歳も過ぎたら、よくは覚えてないだろう。
通常の人なら。

父と話すとき、(当時74歳だったが)、幼いころの
私のことを聞いても覚えていなかったり、
つい最近のことも忘れているのが悲しかった。

認知症でなくても70歳も過ぎたら無理もない。

だけど娘としては覚えていてくれているもの、
と思ってしまうものだ。

年齢とともに切ない思いは募る。

何も思春期だけが切ないのではない。

老齢の切なさは思春期にも似た切なさがある。

一貫して変わらないものを人間は根底に
持ち続けていると感じる。

その人自体の持つ、ある一定の変わらない何かが
ある気がする。

よく3つ子の魂100までも、というが、
そういったものを持ってきたものがある気がする。

それ自体は受け継がれていくのだろうな
と思う。

たとえ生まれ変わっても変わらない何か。

それは子供と接しているとよくわかる。

幼いのに、強い信念をすでに持っている子とか、
いたりする。

こんなにかたくななものは、すでに生まれる前に
持っていたとしか考えられないと感じることもある。

私の両親は絵を描かないのに、私は幼いころから
絵がとても好きで、なぜか白い紙を見るだけで
そこに絵が浮かび上がる。

そのイメージ通りに描いていけば出来上がる。

両親は農家の出で、畑仕事が好きで
農業に詳しかったが
私はハイセンスで
おしゃれなものが大好きだった。
(まあ、父は新し物好きで、どちらかというと
センスは良かった)

その子の持っているものは、その子のものなのだと
思う。

週末は荒れずに済む。

主人がいるから。

だとすると、いつもいてくれたほうが良いのかな?
と思ったりもする。

状況に甘えているのかな?
と思ったりもする。

人間切羽詰まればやるだろうし。

その状況になればやるだろうから。

だけど下積みも大事だから
今できることをやっておいて損は無いと考える。

今の時を大切に、今自分にできることをやる。手(グー)

これが私の信念です。わーい(嬉しい顔)

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