2015年10月29日

私を縛っているもの、それは罪悪感

あるテレビを観ていて、気づいたことがある。

鬱的だから、あまり考えずにすむテレビを
無意識に、ぼ〜と観ている。

自分は、テレビなど観ない、
と思っていた。

本のほうがレベルが高いと。

それで、どこかテレビを観ている人を
馬鹿にしているところも少なからずもある。

それとは別に、考えなくてすむから
今テレビを観ているが。

自分の罪悪感にいまさらながらに気づかされた
番組があり、泣いてしまった。

その番組を観て、気づいたのは
いまだに、自分は罪の意識を抱き続けていて
自分を許せないでいるのは実は自分自身なのだ
ということ。

一番に、自分が自分で許せないのだ。

その罪を背負い続けることを
自分に課しているのだ。

「罪は二度とぬぐえない」と。

私は、罪を犯した人を許す人や
厚生させる仕事をしている人のことを
本当にすごい人だと前々から尊敬している。

なぜなら、私は実は潔癖すぎて
罪を許せないのだ。

一度犯した罪を許せない。

人も自分も。

取り戻してくれ、と言われたって
取り戻せない。

消せない。

けど、その事実を消せないということを
痛いほどに、刻銘に刻印してしまうのだ。

二度と犯してはならないと思えば思うほどに
刻印してしまう。

自分は自分の犯した罪を背負い続けていなければ
また罪を犯してしまいそうで怖い。

つまり許すことができない。

でも、考え方としては逆だろう。

すべてを許すことで、忘れることもできるのだろう。

いや、忘れたわけではないが、
つまりは「許す」

また、そんな罪を犯す自分ではない、
との潔癖さもある。

どんだけ潔癖なんだ、というくらい潔癖だ。

が、事実は違う。

その食い違いに苦しむ。

ゆえに、自ら「十字架を背負う」のだ。

そして、「絶対に許さないぞ!」と言っている。

それが、私の本性なのだ。

これが、私の中の、私の、自分自身の
恐ろしさです。

ずっと幼いころより、自分が恐怖で仕方なかった。

私は、この罪悪に対する潔癖さで
自分自身が、自分に恐れおののいていたのだ。

自分の本質が外にあらわになったら
どうしよう?と恐怖で、びくびくしていた。

これが、もしかしたら、
統合失調症の素因なのかもしれない
と、うすうす感じている。

これほどまでに潔癖なのが
統合失調症になる人の素因なのではないかと。

観れば、かっこうも、みぶりも、部屋も
なにもかも自堕落だ。

病気の状態のときは。

なのに、内面は、恐ろしいほど潔癖だ。

その内面は知られることはない。

ただ、外観だけをみて、自堕落だ、
ずぼら、だとまわりは思うだけだ。

この神経のからみあいにも苦しむ。

が、これから考えていくこと。

自分の罪悪感を、もう手放し
許してやること。

自分が自分を。

そのまんま。

ありのまんま。

生きていくこと。。

人生は、あとタオルを4回交換する間

今朝は、ハンドタオルを新しいものと
入れ替えた。

総入れ替えした。

気分を一新したかったからだ。

過去に、すでにそのころ40歳くらいだったが、
「これからあと、4回タオルを交換するくらいしか
人生は無いのだって」と言われたことがある。

それを聞いて、じゃあ、交換しないでおこうか、
とか、できるだけ、ちびるまで交換しないでいよお、
とか、せこいことを考えたが、そんなことをしても
同じで。

電車の中で、走ったら、早く着くかなあ、
と言っているようなものだ。。

あと、自分の人生に、また主人の人生にも
どのくらいの命が残っているか、わからないが、
悔いの無いよう生きたい。

かたづけも、ラストスパートを切ろうと
がんばっている。

、、あまり、この時期、がんばらないほうが
いいのだが、鬱的な私としては。

ほどほどに、できる範囲でやりたいと。

頭を使うことは苦手で、朝から、読書バンバンしていたが
以前は。

今は、どちらかというと体を動かすほうがいい。

で、人恋しくて、早朝コンビニ、になる(笑)

誰でもいいから、周りに人の気配さえしてれば
安心するので、コンビニや、スーパーや公園に
ちょくちょく出没している(笑)

犬では、満たされないものが、やはり人間には
不思議な力があると感じる。

そこにいるだけで、何かを感じる。

人と接することで、オキシトシン?だったか
が出て、セロトニン?を精製する、とか・・。

セロトニンは精神の安定につながるから。

良いと思う。

やはり、パソコンや携帯だけやってたんでは
いかんなあ。

極力、外に出よう。

うん。

鬱ながらも朝食に彩を

鬱ながらも、昨日の太陽の光、
セロトニンに助けられてか?
はたまた友達の支えか、
病院の担当医の褒め言葉が
効いたのか?
帰りに寄ったスーパーのカラフルな
フルーツジュースを選んでみたのが
良かったのか?
今朝は、作れなかった料理が作れた。

それに、コースターまで敷く心まで
出てきたということは、少し気分が
上がってきたかな、と。

今朝見たら、また友人がLINEくれていて。

私のブログを読んだらしい。

ほかの人にもだが、あまり心配しないようには
言っている。

昨日、実はセミナーに参加しようと考えていた。

が、どうも参加できそうになくて、
やめた。

ヒプノセラピー、昔少し聞いたことある。

催眠療法、みたいなものかな。

でも、単発のセミナーなんで
続きじゃなく、一回くらいならいいかな
と思い。

別に主人にも言わないで参加しようと
考えていた。

病院の担当医には「また挑戦しようと考えていましたが・・」
というと、「あなたは常に何かに挑戦しているし
それはそれであなたの人生だからかまわないんですけどね」
と言われた。

で、今回のことも、先生は、放置して
流れをみましょう、といつもの先生の戦法。

私のパターンをよく把握してらっしゃる
先生の言葉だから信じようと思う。

私より、私のタイプをよく覚えてくれている。

よくそういうことはある。

自分でも気づかないことを、友人のほうが
よく分かっていたり、とか。

他人から見た自分も、頼りになることもある。

とまあ、やりすぎは良くないので、
調子良くなったとしても、控えめに行動しようと
考えています。

セロトニンに助けられた

昨日の『鬱の入り口に入った』は
思わず訪問数多くて、癒された。

今は夜中の12時半、夜中起きているのも
良くないのだろう。

が、睡眠に入る時間が早い。私の場合。
もうすでに6時間寝ている。

だから眠れない。

昨日、読んだインターネットの内容では
「夜は眠るもの」「夜寝ないと良くない」
というような内容があり、きっと夜にしか
出ないホルモンとかあるのだろうなと思う。

右背中の痛みは忘れて寝てしまっていた。

近所の人にもメールで聞いてみたが。

あと、昨日の昼間、とあるところへ
電話をしようとして、番号が似ていたのか?
電話をかけたところ「はい。緊急●●です。何かありましたか?」
という声に驚いて、「え?緊急●●?すみません。
●●●●にかけたのですが、間違えました!」と
言い、電話を置いた。

なんで、そこにつながったか不思議だ・・。

「一人だ」「孤独だ」とか思うときもあるが、
なんだか、こういう間違いにも
助けられている気がしてきて、
ほっとする。

昨日、かりんをもってきてくれた友達といい、
LINEで心配してくれた友達といい、
支えられているな、と感じる。

昨日は、「飢餓感」が半端なくて、
つらかったが、なんだろう?
セロトニンと、愛犬、マルタ、up!の
愛情に癒されて、復活したようだ。

完全に鬱が治ったわけではないが、
昨日は、病院の帰りに寄った
スーパーで、ブルーベリーミルクを
ドリンクを数ある中から選べたし。

お弁当も、なんだか辛いものが食べたくて
ピリ辛鳥から揚げと、辛味噌おにぎりを買って
帰宅後食べた。

今は、味の濃いものが良くて
そういうものを食べてしまうが、
これも今だから、ということで
多めに見て、ストイックにいろんな
こと、規制してがんばってきた自分を
甘やかせてやろう、と考えている。

朝からコーラーでもいいじゃないか。

缶コーヒーもたまにはいいじゃないか。

心臓が不整脈だから、少し心配ではあるが、
今心配しても仕方ないし。

背中の痛みは、その心臓からきているのかな?
とも考えている。

あとは、腎臓結石だと、かなりの
激痛が背中やお腹に走るらしい。

激痛ではないのだよねえ。

ま、今日になっても痛むようだったら
開業医にでも診てもらいにいこう。

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