2015年11月10日

『心の闇』に負けるな!

私は、過去、どうしても子供を産むこと
子供を自分が持つことの恐怖に耐えられず、
子供を産むことができませんでした。

それは、自分が病気だから産めないというのは
建前で、本当には、自分自身の心の奥底にある
「子供の首を絞めて殺してしまうのではないだろうか?」
という恐怖感から、子供を持てませんでした。

子供は、掛け値無しに、可愛い。

その気持ちに変わりは無いのだけれど
それとは別に、その自分の中にある、
恐怖心に耐えられず、主人の気持ちにも
答えられない日々が続きました。

主人は、子供をとても欲しがった。

が、潜在意識的に、今子供を持てば
自分も家族も破たんする、というものを
恐れとして、持っていたのも感じます。

だから、女の本能として、子供は生まなかった。

そうして、もっと奥底にあるその心の中には
恐ろしいまでの独占欲がありました。

私は、とにかく好きになる人を
独占したい。
独り占めしたい。

男性も、女性でもだ。

だから、好きな人が、ほかの人と話しているのを
見るのも嫌。

自分以外の人とかかわっているなんて
信じられない、それくらいに、感じる。

好きな人に自分だけを見てほしい。

ほかの人には目もくれないで欲しい。

過去、そういう感情のときは、とても苦しかった。

が、我が家の愛犬、up!を見ていたときに
ふと、「このまま自分のものにしたい」
という感情が芽生え、それには
up!を殺してしまえば、自分のものになるの
ではないか?という心が、かすかに起きた。

はっ!とした。

よく映画で、犯罪を犯すストーカーなどの
心理に似ている。

手に入れたくても、どうしても
手に入らないものの一つに
相手の「心」があると思う。

それを、私は欲しかった。

相手の心がわからない。

相手の心を知りたい。

でも、どうすることもできない。

そんなジレンマ。

よくそれで悩んだ。

そうして、陥る罠に、相手を殺してしまえば
自分のものになるのではないか?
という間違い。

殺してしまえば、その人は、永遠に
誰の手にも触れない。
誰の目にも触れない。
触られない。

永遠に自分の中だけで生き続ける。

そんな歪んだ、病理が、私の中に潜んでいる。

心の闇だ。

どうして、いつ、こんな心が育ってしまったのか、
わからない。

だけど、そんな心を抱えながらも、よく
犯罪を犯さずに、ここまで生きてこられたと
よく耐えたと、自分を褒めてやりたい気持ちだ。

一皮むけば、人間は、心の奥底で
何を考えているかわからない。

その「怒り」に触れたくて、
また私は、衝動的に、
それをしたくなるときがある。

相手が、その「怒り」を「本性」をあらわにしたときに
「やっぱりそうだったか!」というものを
見たい、という心理が働くのだ。

これは、本音を常にかくして生きてきた
家族形態によるものなのか?

相手の「本性」を見抜きたい、
という心理が働くのだ。

「そんな優しそうな顔して、本当は
私を殺したいほど憎いんじゃないのか?
どうなんだ!?」と突きつける。

自分も憎んでおきながら、偉そうな態度をとる。

本音を言わない、とはそういうことだ。

私が病気が酷いときは地獄の生活だった。

家族も私も。

そんな状態で、いくら優しい人でも
「もううんざりだ。死んでくれたら」
と思わないことは無いだろう。

「死にたくても死ねない自分」と、
「本当は助けたいけど自分に助ける力の
無い家族」の絶望感にさいなまれる日々との戦い。

そこは「地獄」がある。

いつまで続くのか、わからない「地獄の様」だ。

そういう経験を通して知った数々のことがある。

だから、自分の心の闇にも、人の心の闇にも
敏感だ。

人間は、綺麗ごとでは生きていかれない。

泥沼から這い上がった人生には
価値があったと今思える。

平坦な人生だったらとうてい知りえなかったこと、
とうてい出逢えなかった人々があり、
そこには数々のドラマがある。

私は、明るい面白い話が好きな半面
太宰治の『人間失格』のような作品が好きだ。

中島みゆきの、『空と君とのあいだには』
の歌が好きだ。

ジャンヌ・ダルクのような
勇ましい女も好きだ。

激動の時代を生きた人々の物語が好きだ。

恥をさらしながら、泣きながらでも、
人生を、前向きに生きる人たちが好きだ。

自分の中の『光と闇』が好きだ。

闇を抱えて、強く生きる人が好きだ。

負けるな!自分!

負けるな!みんな!

負けるな!闇に!

私の暴れアダルトチルドレン

さっき、自分のアダルトチルドレンが出て
荒れて、泣いて、up!にわがまま言って、
叫んで、から、即興で歌を作って歌ったら
すっきりして、ブログが書きたくなった。

私も気分屋で、自分の気持ちのおもむいたことしか
しない。

気持ちが起きたときに、気持ちの起きたことをする。

それで、物事が実際、うまくいく。

むしろ、義務的にしていたときは
がんじがらめでしんどいだけで
努力がいくらやっても報われない人だった。

冗談で、美容院へいったとき
その美容師さんはカウンセラーのように
癒し系な人で、「私かなり長い間
努力が報われない人だったんですう」
と話すと、美容師さんに受けてもらった(笑)

するとその美容師さんも、面白い話を
してくれて、美容師の勉強をはじめたものの
働きながらで、勉強する時間がなくて
通信教育だったが、働いている先の
社長さんに、しまいにその通信教育の
勉強をかわりにしてもらって提出して
もらっていたと。
そして、試験直後に猛勉強をして
試験に受かってしまったと。

それもある意味すごい話だなあと思った。

勉強しないでおいて、試験直後に猛勉強して
受かるところがすごいですね!と言った。

その美容師さんは「若かったからよ」と
言って笑った。

やはり素敵な方だな思った。

今日も、吐き出し作業だ。

良い本を見つけた。

また、upしたい。

コーヒーは元気を無くす?打って出ること

元気のある人がコーヒーを飲むと
元気がなくなるという、コーヒーは
不思議な飲み物、とインターネットにあった。

もしかしたら、そうかな?
と思ったが。

私はコーヒーを飲みすぎる
傾向があるので、昨夜コーヒーを飲むのを
やめようと決めたところだった。

が、今朝になり、無意識にドリップコーヒーの
袋を開いてしまい、あ!とそのとき
気が付いた。

いっぱいだけ飲もう。。

あとは、すき腹に飲むのはやめた。

すき腹に飲むと、胃を痛めるから。

食後だと、胃の粘膜をおおってくれて
いい、らしい。

コーヒーは毒性のある飲み物だから
使い方に気をつけないと。

4杯以上飲む人は早く死ぬ、
とも言われているし。

で、元気をだしたいので、とりあえず
コーヒーはやめてみることにした。

最近の、夕方ころになると
なんだか、何も食べたくない
という心境、食べたいものが一つもない
思いつかない、という心境
また舌の具合、などがある。

数か月前までは、いろいろなものを
作り、創作料理までして作って食べていたのに。

これもコーヒーが原因なのか?
何が原因なのか?わからないが
とにかく思い当たるものは、一つずつでも
やめていってみて試してみようと思っている。

年齢的なものもあるのか?

しかし、50歳手前になると、味覚というか、
美味しいものが味わえなくなくなるのか?

また、感情面においても、
怒りは出るのに、若いころのような
心躍る感じとかは無い。

当たり前になりすぎているのもあるかもしれない。

だいたいは刺激の無い毎日だから。

先日、車のディーラーに主人といき、
試乗させてもらったら少し興奮した。

それとて、少しのものだ。

若いころとは違うのだなと感じた。

若いころは車を購入するとなったら
一大イベントだった。

わくわくして眠れないほどだった。

何か月も車のことについて考えたものだ。

ああでもない、こうでもないと
吟味したものだ。

が、今では、あっさりしたものだ。

大人になるってつまらないな、
と、こんなことからも思う。。

まあ、別のところでは、ランクが上がる
というか、今まで選べなかった選択も
できるようになるが。

いろんなことを経験してきたから
必然的に、多少のことでは刺激を感じられないから
より刺激のあることに挑戦したくなる。

半端なことでは、つまらない。

友人も、より面白い人、個性的な人を求める。

というか、そういう人が周りに集まってきているが。

自分を引き上げてくれる人や、
一緒にいて有意義な人、楽しい人がいい。

やはり、自分も周りも向上していかないと
だんだんとつまらないくなる。

ましてや進化の時代だし、ありきたりのこと
ではつまらなくなる。

テレビ見てるだけ、なんて、私には
考えられない。

家事してるだけ、なんてのも
考えられない。

それこそ鬱になりそうだ。

どうせでも、家の中で同じものばかり見ていると
あるとき、「なんなんだ!?これは?」と
無機質にむき出した、家の中のものが
愕然と見えるときがある。

これが、遺跡発掘や世界旅行などを
していたら、全然刺激が違うのだろう。

が、そうしなくても、刺激を得る方法はあるが。

仕事もその一つで、仕事も刺激になりうる。

刺激が無いと、認知症にもなりやすい。

一日、人と誰とも会わないなんて問題だし。

家庭の主婦がいくら工夫をしたとて
認知症は魔逃れないのではないか?と感じる。

家の中で得られる刺激なんて、
ほんの少しのものだ。

それを旦那さんが、奥さんはニコニコしているから
満足しているのだろう、と考えるのは
男の単純さ、だなと思う。

そんなことはない。

誰だって、一日誰とも会わない生活なんて
本当は耐えられないと思う。

役目といえば、家事や、犬の世話。

それで満足している奥さんもいるだろうが。

奥さんだって、家にいながら
外の世界に思いをはせている。

それがテレビを通してなのか?
ご近所の井戸端会議なのか?
買い物なのか?
その程度の範囲のものだ。

それを、本当は、ありがたいと思わないと
ならないのだろうが。

反抗心の今だに抜け切れてない
半不良の、精神年齢の低い私には
立派に切れる要因となり、
たまに爆発している。

人に慰めを求めても仕方のないことだし、
それなら打って出たほうがいいようだ。

自分から何かを改革していくのだ。

つまりは夢を追うこと。

徐々にだが、そちらへ進めていきたい。

ルールの嫌いな私がルールに従いやることでどうなるか?

今朝、ひらめいて、紙にいくつかのことを
書きだして、壁に張り紙をした。

1・歯は磨きましたか?
2・お風呂は入りましたか?
3・パジャマには着替えましたか?
4・ベッドで寝ていますが?
(電気は消しましたか?)

さあ!二階へいきましょう!

と、こういうことを書いたのです。

で気が付いたのですが、普通の人は
小さいころに、これらは習慣になっているから
わざわざ、私のようなことはしなくていいのですね。

が、私が47歳になった今でも、
これらのことが一人でできない
というのは、まだ習慣になってないということで。

で、なんで習慣にならないか?

というと、私の場合は「階段が無い」のだと
思いました。

眠るまでのプロセスが頭に入っていないというか
つまり階段が無いから、結果としての
布団に眠る、という結果がいつまで
たっても至らないのだと。

そうなった理由は、「やりたいようにやっていたら」
そちらのほうが気持ちが強くて、
ソファーで眠りたいから寝ていたら
その習慣がついた、と。

人間、気持ちいいほう、心地いいほうに
自然と流れていきますよね。

友人には「ある一定のルールを決めてそれに
添ってやってみるとか」と言われたが、
それをやってみようと思う。

料理も時々しなくなるのは
つまりは定番のレシピが無いからで、
思いつかないときに停滞がおきる。

なら、定番を決めておいて
嫌がおうでも、それに従い作ることを
してみる、とか。

義務的にやったり、やりたくもないのに
やるのは私の意に反するが、
それでもそういうときもやってくるだろうから。

今から訓練しておかないと。

ということで。

では。

男性が「この女性はずっと手放したくない」と思える女性

男性が、この女性は手放したら後悔すると思う女性
と思う理由3つというのをインターネットしていたら
見つけ、独身の結婚まじかの友人に送った。

喜んでもらえた。

男性が「この女性は手放したら絶対後悔すると思う女性」
理由に、一つ、「自分のことを大切に思ってくれる人」
二つ、「料理や育児の得意な家庭的な人」
三つ「一緒にいたら気持ちが満たされる、ほおっておけない人

女性も、「優しい男性」や「思いやりのある男性」というのは
外せない要因ではないかと思います。

醤油顔とソース顔どちらがいいか?という質問に
対しては、醤油顔、と答えた女性のほうが
70パーセント以上と、多かった。

理由は「さわやか」「安心する」など。

ソース顔だと、「飽きる」とか「怖そう」とか
いう理由。

逆に、「こんな人は高値の花、手が届かないと思う女性」
理由に、一つ「ブランド物で身をかためている女性」
二つ「モデルのようにスタイルの良い女性」
三つめはなんだかったか?美人な女性?
だったかなあ?

忘れましたが。

女性も、男性も、見かけではなく
内面重視なのは誰でもではないかと思います。

中には、「見た目が綺麗ならいいんだ」という
変わった人もいるかもしれませんが。

今、音楽『美女と野獣』を聴きながら
これを打っています。

ではまたあ。

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