2015年12月15日

「本当の優しさ」の意味を考えるとき

昨日、あることで、気づきがあった。

誰かを、何かに、お誘いするとき、
果たして、本当に相手の立場になっているだろうか?
と思う出来事が、2・3あった。

それは友人に指摘されて気が付いたのだが。

「何かがずれている」と、そのことで感じた。

でも、ズレいても、今はいいのかな?

私は、完璧主義なのか?
誰かに何かを指摘されたときに、
なぜ、最初に気づかなかったんだ!?
とか、なぜ、人に気づけて、自分に気づけないんだ!?
というような厳しい批判の目で人に指摘されている
自分を、さらに自分が追い込むように指摘する、
という癖を昔から保持しています。

それは、些細なことかもしれないし、
人によっては、「気付くか、気づかないか」くらいの
内容かもしれなくても、「自分がそれに気づかなかったこと」
を執拗に責めます。

これは、私の父も、この特徴を持っていて、
で、私は基本、指摘魔なので、父のことも
生前は、指摘しまくっていたのですが、
(自分でも、怖い娘だと思います。私が父親で、
あんなに指摘されたら、娘の前でも、平気で泣くかもしれない)

これは、たぶん、潜在的に、
母に叱られている、私を守ってくれなかった
父への、「腹いせ」なのだと思います。

表面は、優しそうに装っていても、
内面では、「なんで、父親として、母親に
ガツンと一発!言ってくれないのよ
的な思いで、猛攻撃を繰り返していたのだと
思います。

本来、男というものは、「か弱き女」を
守るのが責務、と思っているようなところが
私にはあり、その役目を果たさない男は
男じゃないと猛攻撃するようなものを
潜在的に持っているような気がします。

が、優しい父だからこそ、「本心思っている気持ち」
を一度も言えないまま、本心は隠し持ったまま、
ほかのことで猛攻撃するのだから、たまったもの
じゃなかったなあ、と今は反省しています。

が、本質に迫らないで、他のことで、
攻撃するのは、逆に言うと、卑怯なやり方だと
「本来の治療する場所以外のところにメスを
何度も入れているような」卑劣なやり方だと
いうことも、今の時点なら見えます。

それは、私の歪んで育ってしまった性格が
そうさせたとは言え、父親と、もっと父娘らしい
穏やかで、やわらかい会話ができたら良かったと
気づいたのは、父が亡くなってからでした。

父の亡くなる一年ほど前には、
私も、あることに気づいていき、
父に、できるだけ、優しい言葉をかけるよう
努力はしていましたが、時すでに遅しで
父はその後、まもなく帰らぬ人となってしまいました。

でも、あの猛攻撃に、ただただ、耐えるばかりの
父親の心中はいかばかりか?

母親に厳しいことも言えない父の
私に対する負い目ではなかったか?

母に攻撃を受け、私に攻撃を受け、
ただただ叩かれるままにしている父。

それははたで見ていても、非常に痛いものです。

でも、今でも思う。

あれが本当の父のとるべき態度だったのだろうか?と。

「本当の優しさ」について考えるとき、
私はいつも父の姿を思い浮かべ、
「本当の優しさ」の意味を考えてしまうのです。

「自分がただ耐えればいい」と本人は思っている
かもしれない。

けれど、「自分さえ」の思いが、実はほかの
誰かを、別のところで苦しめてはいないだろうか?と
考えると、本当に「自分さえ耐えれば」それで
まあるくおさまるのか?

本当に、周りじゅう幸せになるの?

と問いたくなる。

あるドラマで、元宝塚月組の男役トップスターだった
天海祐希の出ているドラマを見ていたとき、
天海祐希は、どうも、同性愛者?で、
ある女性(内田ゆき)と同棲していたが、
実は数年前に一緒に結婚?していた男性がいて、
その男性とよりを戻したくて、
で、その男性と、老人施設だかで働いて
みんなを幸せにしたい、という思いを抱き
その男性のもとに走る。

が、それは同時に、同棲していてた
女性(内田ゆき)と、その娘(小学1・2年生くらい)
を傷つけることになる。

そのときのやりとりの中で
「私はみんなを幸せにしたいの」と泣き叫ぶ
天海祐希。

が、実際には、同棲していた女性(内田ゆき)と
その娘は不幸にすることになるのだ。

「自分の選択が正しいのか、どうか、分からなくなった」
「自分は人を幸せにしたいと思っているのに、実際には
不幸にする人が表れる」
「本当にこれでいいのか、わからなくなった」
と言う。

すると、周りの人が助言をする。

「今は、一時不幸にするだけだよ」
「それでも、誰かを不幸にしても、今一番しなければ
いけないことは、自分をまず幸せにすることだ
「自分を幸せにできない人が人を幸せにできる
はずなどないよ」
と言う。

これは、私は友人や、いろんな人から始終言われてきた
言葉だった。

この言葉をかけ続けてもらえたおかげで
ある意味、自分は目覚めることができた。

父と私の違っていた点は、こんな風に言ってもらえる
人が周りにいなかったのではないだろうか?
と思う。

それは、やがて、父を不幸な最後へと
向かわせることになってしまい、
私も、父と一緒に幸せになることを望んでいた
だけに、ものすごく、やるせなくて、つらい思いを
したし、今もその思いは潜在的に抱えていて
今でも父の亡くなる姿を何度も回想してしまうが、
この思いは消さないで、大切に持っていようと
思っている。

脳腫瘍の手術をした後、(通算三回も頭を開いたのだが)
そんな厳しいハードな手術を終えた後、
父が、普通食のご飯を
食べたと看護師さんより聞いて、びっくりしたが、
それが実質、父の最後の食事となる。

どんなものを食べたのか、見れなかったのだが、
父はその病院食を、どんな思いで食べただろうか?
砂を噛むような思いだったのではないか?と
考えると、自分がご飯を食べているときでも
思い出し涙が流れてきて、泣きながら昼ご飯を
一人で食べているときもある。

その父の食事をしている、私の見ていない姿までもが
(それはもうトラウマ的だが)
目に焼き付いているように私には目の前に父がいるように
ハッキリと見えてくるのだ。

過去はこの人の死が、自分には衝劇が強すぎて
体調が悪くなっていた。

統合失調症が発症するきっかけも
引っ越し、転職、死別、など大きな出来事が
きっかけとなることが多いとされている。

父の葬式の準備の間中、もうろうとして
横になり、葬式の手配は、全部、叔母と弟に任せて
やってもらった。

母も鬱だから。

そのときの自分が今でも情けない。

が、叔母と弟がいなかったら、
私は何もできなかっただろうから、
感謝している。

あのときほど、自分の無力さを痛感した
ときはなかった。

父の目の前に見えてくる、その姿が、
細くて表情の無い、悲しい顔で
思い出し、何度も、何度も泣くのです。

でも、この思いは私は大切に父が最後に
私に教えていってくれた大切なこととして
胸に刻んでおきたいのです。

不幸に亡くなっていく人だとしても
人には、「無常」というものすごい
メッセージを残して逝くのです。

これは大切な宝です。

胸に刻んで私は決して忘れない。

忘れないでいたい。

そして、ここで言わせてください。

お父さん、「大好き」

今でも、いつまでも私の永遠のお父さんです

「ありがとう」

ほんとうに、ありがとう。

いつまでも。いつまでも。。。

生きている間に挑戦できることに挑戦する

ネットビジネスにたいしての知識を
友人のブログから得たので、書いてみたいと思います。

私も、それ関連の仕事を、多少したことがあるので
また、その世界から足を洗った人間なので、
言いたいのですが。

一言で言って、私の主義には合わなかった。

嫌なのが、その付き合い方形体からして嫌で、
いわゆる「お茶のみ会」のような目録で、
「だべる」形体事態が嫌で。

私は、基本、一人でいるのが好きな
「一匹狼」です。

それに、デリケートなゆえに
「自分を、守るすべをかなり身に着けたうえで」
それでも、考えながら人と付き合わないと
私の場合は、まさに奇想天外な、種を持ち合わせて
いるようなので、めったな人(たとえば、過去、法廷に持ち込まれ
そうにもなったし(笑)(泣き)
とは、付き合えない。

知識も、かなり身に着けたが、力も、それでも
人と付き合うときは、かなり慎重に選んでいく。

アーティストだし。

一人で、創作活動しているのが性に合ってるし。

そのほうが、だんぜん楽しいし。

今では、楽しいこと以外しないし。

極端な話。

自分の中から発露したものや、自分軸のようなものも
持ち、主義主張も、一貫していきたいし。

話の内容は変わっても、自分の中にある
一貫した通したい思いは変わらないし。

自分の発想が好きだし。

私も「誰でもできる的で、みんなの利益に」
的な内容ではなく、「その人だからできること
オリジナリティーが好き。

いうなら、「ユニークセールスプロポジション
その人にしかできない何か、のようなものが好きです。

または「ブランディング」

自分を「ブランド化」すること。

自分でも、独特の個性を持っていると思うし、
創造すること、ものごとや、言葉を作り出す、
編み出すことが大好きです。

そんな、もともと持っていたものを
『ダイナマイトモチベーション6か月コース』の
教材や、主人や友人の影響力で、
「自分らしさ」を引き出すことができたし、
なによりも、子供のころから、「ありのまま」の
自分で生きることが夢だったし。

今、かけがえの無い(無形ではあっても)ものを
得た目に見えない、形の無い財産を
私は、いつも、この身に、このハートに
保持している感覚をいつも持っているから
形あるものが、焼けてしまっても、
私に残るものは、この身についた財産は
無形の宝だからです。

お金も確かにかけた。

が、掛けた分の宝を、この身に保持している
今は自信があります。

たとえ、今、表面に現れていなくとも
潜在意識的には、保持しているから、
それを引き出していくことは可能だし。

そういう未来形の希望も胸に抱いて
いつも、います。

日中も、ある一人の友人を、ある書籍を
紹介しながら、勇気づけたばかりです。

友人には「元気が出た」と言われました。

いつも、「役立たず」だと思っていた自分が
今は「人を支えている」感覚があります。

主人や友人のことを。

これからも、支えていきたい。

勇気づけて、元気づけていきたい。

できるだけ多くの人を。

生きている間に、自分が、どれだけのことが
できるか、に挑戦したいと思っています。







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