2015年12月30日

「運転」と一口で言っても・命を預かる仕事

年末、昨日、主人の運転する車の助手席に
乗っていて、気づいたことがあります。

助手席が、最近、怖いのですね。。

なんでか?というと、運転手を信用していない
わけではないのですが、あることを思い出しました。

祖母のそれがそうだったように
(祖母は、いつも私の運転する車の
助手席で、車が出てくるたびに、
ぎゃーすか、ピースカうるさく、
だったら、車乗れないじゃないか、
と思ったものです)
これは老齢からくるものなのか?

横から出てくる車が、まず怖い。

はっとする瞬間がある。

というか毎回。

どきっとする。

横から車が出てきたとき「なんで!?」と
思う。

なんでも、かんでも、出てくるものは
出てくるわな〜〜。

が、しかし、私にとっては「なんでいきなり?」
なのだ。

以前はそんなことなかった。

普通に横から出てくる車、ふ〜んとスルーしていた。

が、今は違うのだ。

横から出てきて欲しくないのだ。

つまりは。

道を通るとき、最後まで順風満帆に通りたいのだ。

願望。

何も、「ぶつかる」とか「しょうがい」の無いように
とどこおりなく帰りたい。

願望。

これは、新しい車に変えたせいもあるかもしれない。

傷一つつけたくない。

願望。

というか怖い。

それと、もう一つ。

昨年、父が亡くなる、一か月前に、
「お母さんが死にたい言ってる」
と父に言われて、(母は鬱です)、飛行機に
乗り、飛んで帰ったことがありました。

その際に、父の運転する車の横に乗り、
桜三里(愛媛の山)を2時間運転して超えて、
実家に帰省する際、(そのときではないのですが)
別のシーンで父が一瞬、車のブレーキを踏めず
くらっとした瞬間がありました。
後で思えば、父はもうそのとき、すでに
脳腫瘍、癌に侵されていたものと考えられ、
それを思うと(父は心臓病も患っていました)、
あのとき、もしかしたら、父と車もろとも
桜三里に、落ちていたかもしれない命であり、
ぞっとするのです。

それ以来、誰かの助手席に乗るのに
(この人は病気を持っていないだろうか?)とか
いろいろ頭の中で、検索するようになった。

そうして、運転をするということの
責任を感じはじめた。

運転、と一口に言っても、
重大な責任を持っているということを
自覚しはじめた。

誰か助手席に乗っていたなら、その助手席に
載っている人の命までも、奪う可能性が
出てくる。

ならば、そのためにも運転を気を付けるだけでなく
自分の健康管理もちゃんとすることは
相手の命を奪わないためにも大切なことでは
ないか?と考えはじめた。

それだけのことを実際してくれている
「運転手」にまた感謝した。

今までなんの気なしに、誰かの運転してくれる
車に便乗していたが、それだけのことを
気を付けて運転してくれていると思うと
ありがたさに感動してしまった。

「不安」と「感謝」の両方起こる感情を
押しとどめることができず、今こうして
書いています。

日常の中で、いろいろなことを気づかされます。

本当に、感謝です。

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