2016年01月12日

「永遠の孤独」があるとしたら?

幼いころ、一度、夕方ころに目覚めたら
そこは座敷の暗い部屋で、一人だったことがある。

そのときの不安といったら無くて、
まるで地球上に、たった一人取り残されたような
そんな不安と孤独が目覚めたとたんに
一気に押し寄せてきて、あたりじゅうを
家族を(母のことだったのか?祖母のこと
だったのか?)を探しまわった、という経験がある。

その記憶は、30代を過ぎても、幾度となく
思い起こしていた。

忘れていたが、さっき、久しぶりに思い出した。

だいぶん、記憶は薄れてはきているが、
「戦慄」とともによみがえるものだった。

今は「戦慄」とまではいかないが。

統合失調症の病状のひどいときは
そのときの不安と孤独の、数百倍を
重ね合わせたほどの不安と孤独感だった。

が、毎日のように押し寄せてきていた。

大人になって本を読むと、子供の起きるときに
一人はいけない、とあった。

理由はよくわからないが、きっと
取り残されたような不安が押し寄せるからでは
ないだろうか?と思う。

それも、家には、呼べども呼べども
誰も返事もせず、外にまで探しにいったと思う。

その間も、永遠ともよべるほどの
長い時間に感じた。

そのころからか?いつのころからか?

そうだ!病院に入院したときに
「永遠」という感覚を知った。

「永遠」の恐ろしさを肌身で感じた。

これが「永遠」というものか・・。

そうなんだ。

と思った。

「永遠」にもし、物事が、そのものが
続くとしたら、みなさんどんな風に感じるでしょう?

戦争でも、争いでも「終わり」があるなら
まだ救われる。

が、それが「終わらない」となるなら
どんな気持ちがするだろうか・・。

「終わりが無い」なら、どんな風に感じるだろう?

「苦しみに終わりが無い」

そうだとしたら、どう感じるか?

私は統合失調症になって、入院したときに
その「苦しみに終わりのない「永遠」を感じた。

先が見えないことは「永遠」と感じる。

そうなのだ。

また、ダークな話になった。

ときとして、こういう話を挿入する。

が、私のダークな一面だが、
これはこれで、私の性格の一部分を
形成しているものなのだ。

「変わらない」部分でもあるようにも感じる。

私の持つ「永遠の孤独感」の恐ろしさを
知っているような潜在意識の部分。

それらを保持したまんま生きていくのか?

とも思える。

人間は、果たして「永遠の孤独」を知っているのだろうか?

「毎日工夫する」

今日は、これをやりたいからそれをやる。

これをやりたくないから、それはやらない。

私はそれでいいかな〜。

実際、それでうまくいく。

でないと、義務になりかねないから。

物事が義務になると、ストレスになるから。

ストレスはいただけない。

しんどい。

ストレスは、肉体の疲労も、精神の疲労も
両方奪われるからいただけない。

たんなる疲労とは違うのだ。

異質のものだから。

その意味でも、「肉体もほぐし」「精神もほぐして
おくことが大事。

これでさえ、ストレスがたまる。

私は「規則正しい」のが苦手。

完璧主義が苦手。

潔癖が苦手。

が、それらを全部保持しているのが
主人だから。

私の苦手な分野を全部保持していて
それを指示するからにして、やるしかない。

だって、私の旦那様だもの。

仕方ない。

私は主人と逆の性質を持っている。

芸術家肌で、アーティスト。

発想の人。

主人も発想は持っているが。

私は自由人。

でも、だから、主人という人が私には
必要。

でないと、糸の切れた凧になるから(笑)

うまく誘導してくれる。

だけど、きついときもある。

自分の性質が、いかんせん「自由」が大好きな
人なんで。

自由奔放な人なんで。

ほんとうに。

だから、困るし、だから好きだし。

ほんとう困る。

ほんとう、やっかい。

でも、工夫する。

それしかない。

だから毎日、工夫する。

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