2016年03月30日

夜中に鬼が出よるで!!

「この腐れ外道が

と、ののしるところから、入りましょかあ。

何を、ののしっているのかといいますと、
まず、自分のことです。

主人に、主人の読んでいる、LINEに
良いことばかり書いて、いまだに
「良い子ちゃん」している自分が、
その「善人面」が、いきなり
許せんなって、夜中に豹変するんよ

主人に対して、本当の自分を現さない
「隠した自分」でいることにイラ立ちを覚え、
「なにさらしとんじゃわ〜れ〜
と、「鬼の」、もう一人の「さつき」が
現れるのだ。

私が、ブチ切れるといったら
たいてい「自分に対して」

「本当の自分で、ぶつかってこんかい
と思っているわりには、本当の自分を現さない。

で、こそこそ、こんな風にブログに書いたりしている。

が、いつかは、現すかもね??

このフラストレーション現象にも
今までの経験からいくと、いつかリミットがきて
黄色信号から、赤点滅になったら、
きっと、私は、自ら地雷を踏むわ

というわけで、朝食作ってますから。

いったん置きます。
posted by さつき at 06:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 依存症と私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

依存症改善は、まず自分が依存症だと気づくとこから

依存症について調べていくうちに、
ついには、性犯罪の項目までいってしまったが・・。

ストーカー的な、項目なら、私も
当てはまってなくもなく(笑)

笑いごとでもなく、そういった目で見ていくと
健全な人と、そうでない人の境目って
微妙で、ようするには、「犯罪」に手を染めてないか
染めているか?のレベルで、観ていくしか
無いのでは?と思ってみたり。。

ストーカー的行為なら、普通に恋愛でも
多少は起こるだろうし、近所のそれとて
ストーカー的な、ご近所さんて、
なんらかの形でいると思う。。

犯罪に手を染めるレベルでなければ、
生きていくのに、さほど支障が無ければ、
「依存していも」それが「依存」だとは
わからないのではないだろうか?

では、「紐」?は、どうなるだろう?
同棲関係で。

いわゆる、「自分は働かないで食べさせて
もらっている人」

それとて、ある人から見たら、
「仕事しないで、ただ好きな趣味している人」
「どこも依存ではない」と言う人とているくらいだ。

その関係が、ドメステックであっても、
嫌々養ってやっているとしても。

そこに、双方の合意があればいい?
のだろうか?

その「食べさせてもらっている」
「あがりこんでいる」女性は、
相手の男性に、おがみたおして
養ってもらっているらしく、
逆にその男性は、さみしさから
その女性と離れられず、面倒を見ているという。

なんとも、奇妙な関係だ、と思うのだが。

その関係は、養っている男性が病気にでもなるか
働けなくなると終わる。

し、また女性が、病気になったとしても、
その男性が病気になった彼女の面倒をみる
という保証もない。

つまりは、お金がつきたら
その縁は切れることになる。

そんな薄っぺらな関係でつながれている
という事実は、どうでもいいのだろうか?

もう一つ、共依存の実例を見てみた。

ある、インターネット調べ。

会社の上司と部下の関係で、
上司が男性、部下が女性。

この二人は、どうやら、どちらも
親から愛されなかったようだ。

部下は、アルコール依存症の親に育てられていた。

甘い優しい言葉で、部下が辞めようとすると
引き留める上司。

ふだんから、その彼女のために仕事の
方向性を変えるなど、異常なまでの
親切心を見せるらしい。

彼女が落ち込むと、上司も同じく落ち込むと。

この一緒になって落ち込む、というのが
まさに、「幼児性」らしく、
ふつう健全な人なら、自分が落ち込むと
相手が元気になれないし励ませないのが分かるから
落ち込まない。

励ますか。

あるいは、少し声を低めて、同調して
慰める行為をとるとか。

いずれかだと思う。

また、「愛されなかった人は「愛の言葉に弱い」」
と言われるように、それらの人は、綺麗な言葉に弱い、
また言葉をそのまま鵜呑みにする、という傾向があるらしい。

また、「上司のお言葉は嬉しいけれども、
今の関係性にはふさわしくない」というように
事実の整理、部分否定、部分肯定ができるかどうか。

相手に、本音を言ってみて、本気で、
ちゃんと対応してくれたなら
相手は、本当に、あなたのことを思っているし、
「依存ではない」らしい。

もし、どちらかが相手を必要としなくなった
時に、自分の願望が満たされたり、
逆に全く満たされなかったときに
関係は一変して豹変すると。

相手の自然な心の自由や変化を許さない、
というのはそういうことらしい。

そこで関係性は崩れると。

そのまま関係を続けてそれで終わるわけはない。

相手は、もっとの要求をしてくる。

だいたが、相手を束縛し、自由を奪う行動をとる人は
依存している。

自分のことしか考えられない人。

相手を、ペットと同じにしか見ていない。

それで、そうされるほうも、その行動を
受け入れ、相手の言葉を歪曲して、自分なりの
解釈をしてしまうような人は、そうされるほうも
相手に依存しているらしい。

依存しないことが強い生き方、というのも
自立できてない人の発想だとか。

人間は本来、依存しないでは生きられない動物だから
でしょう。

それを分かった上で、互いに、個々の自由を尊重し、
自分が幸せにしてもらう、というのではなく
相手を幸せにしたい、と思う能動的なものでなければ
それは幸せとは呼ばないらしい。

こちらから相手に、働きかける姿勢が無い場合は、
関係性を深めないほうがいい、
というのは、能動的な姿勢が無ければ
相手の正体が見えないかららしい。

その関係性で、関係を深めていくことは
危険だと思う。

それはつまりペットのような従順な関係性に
支配されていく、という構図になると思う。

白か黒かでものごとをとらえている、とも言われる。

というような調べだった。

ちょっと、調べた個所をそのまま書いたような
感もあるが。

また、こういったいくつかの実例から
書きだしたほうが、より分かりやすいと感じるので
書いていって、自分との比較や、検討をしていきたいと
思いまっす!



posted by さつき at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 依存症と私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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