2016年04月05日

胃下垂を治せば、お腹はへこむ!

やはり、どうしても、夕方頃寝付いて、
夜中11時くらいに目が覚める癖がついているようだ。

それでも、5時間くらいは寝たことになるがあ、
だと、その後起きているから、次の日の昼間の
パフォーマンスが、やはり落ちる。

と。それはさて起き、今日は、日中、
テレビでやっていた、胃下垂を治す体操の
ようなものをやった。

それを一日、3セット毎回やるといいらしい。

足を上げて、壁にその足をもたれさせているだけ。
それだけだ。

つまり、腰はその際、90度に曲がっていて、
壁面についている状態。

その状態で、一セットは10分、
その状態でいること。

手足に血液がいき、暖かく、じ〜んと
なり、心地よかった。

私は、それをやっている際、
痩せるための本も読む。

すると、今リアルタイムだから本の内容にも
夢中になれる、という一石二鳥!効果!

だいたいが、お腹が出ている人の胃を
レントゲンで撮影したら、みんな
胃下垂らしい。

だからか!

やっとわかった!納得!合点!

これなら、胃下垂を治そう!という気になった。

これは、ポールダンスの、準備体操なのだ。

ポールダンスは、今流行り?らしく、
ポールダンスをすると、お腹がしまって
痩せてくるらしい。

楽しいらしいが、やってみようかなあ?(笑)

胃下垂が治れば、自然と、お腹はへこむ。

その足上げ体操を、一週間やった三人の
女性がいたが、多い人で、7センチほども
ウエストが減っていた。

これは、驚き!

やらいでか!!

というわけで、今日から開始!

停滞していたが、少し、稼働しはじめた
感もしている。

ということで〜。

またあ。

posted by さつき at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 依存症と私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飢餓に備えた昔の人・食べたい脳

飽食といわれるようになったが、
飽食と言われるようになったのは
実は、最近のことで、縄文時代より、
もっと前から、人類は、ずっと空腹や飢餓と
戦ってきたと。

だから、脳は、目の前に、おいしそうな
ものがあれば食べるように指令を出すという。

飢餓になったときのために、栄養や脂肪を
蓄える必要があるから。

現代は、普通に生活していて、飢餓になることは
まず無い。

しかし食べる必要が無いのに、脳だけが
食べなさいと、私たちを、コントロールしようと
する。

だから、今は食べ過ぎて、生活習慣病から、
病気になる人が、たくさんいる。

例えば、コレステロールの8割は脂質や糖質を
分解して、体内で作られている。

から、コレステロールの多い食品を避けるより
食事全体の食べすぎに注意が必要らしく。

「おいしそう」と思ったときに、
自分の体に今、本当に必要なのか?
考えてみるといい、と言うが、
その脳のほうを鍛えたいが、鍛錬、
訓練が必要に感じる。

一番良いのは、何かに夢中になることかな、
と。

食べ物を忘れられるくらいに、夢中になれる
何かに、没頭する、と、良いように思う。

パソコンや、携帯ではダメだ。

単なる気休めだし、パソコンしながらだって
食べようと思えば食べられる・・。

まったく困ったものだ・・。

パソコンじゃあ、人間形成には、ほど遠いし。

文字を打つだけで、人間が作られるんだったら
こんな楽なことは無い。

やはりリアルで、実行、実践することだな
とおもう。

とある、メール文章から、今の自分に、
ちょうどマッチする内容だったので、
upしてみた。

ではまたあ。

posted by さつき at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 依存症と私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当の大人への第一歩は、自らの足で踏み出す!

今考えることは、同じことをしていても
結果は結局同じなので、自分を変えることが
大事と思うこと。

何かを人のせいにしたり、人に依存したり
ということを繰り返していつまでもいたなら、
変わるどころか、同じ人生どころか
同じにはならない、それは社会も時代も
変わっていっているのだから、自分ばかりが
取り残されていく形になる。

たまに同じ病気の人のお母さんなどに
相談されることがあるが。

「今は、とりあえず、自分は働けるし」
などと言う。

では、いつまでのことを言っているのだ?
と思う。

それは、ずっと自分が働けて
ずっと、自分が、その病気の子供の
面倒を見続けることができるという
前提に立ってのことだろう。

言っておくけど、状況はいつも同じとは
限らない。

自分が健康でも、旦那さんや、ほかの兄弟が
病気になる可能性だってある。

また事故に遭わないとも限らない。

介護や、いろんな問題が、生きていれば
起きてくるのだ。

そういつまでも、子供、その子の
面倒にかかりっきりで、生涯、
面倒看る気なのだろうか?と思う。

普通の健康な子供でさえ、成人式を無事
迎えるまでには、親は多大な苦労をしいられる
というのに。

それに、統合失調症を抱えた子供が、
実は、何層をもの、重ね着症候群であり
幾層をもの、病巣を併せ持ち、
その片鱗は、カウンセリングや、様々な
療法を試みる中でしか、軽減はしないというのに・・。

いや、人間関係のそれで改善するという
説もあるだろうが。

では、そうしようと思う、きっかけや
それに対する、やる気や、また経済的な費用は
いったいどこから仕入れると言うのだろう?

みんながみんな、そのように、「やる気」になる
人ばかりとは限らないと思うのだ。

私も、「依存者」であり、主人に
カウンセリングのお金を出してもらったことのある。

が、それに対する反対意見も言われ、
「カウンセリングを受けたいなら、自分で
働いて儲けたお金で受けるべきだ」との
意見もいただいた。

それができるならいいが。

カウンセリングを受けていく中で
児童館の仕事をやってみよう!

という気持ちが芽生え、それに挑戦した、
ということが起きたが。

でないと、とても、できるものではなかった。

治療を受けながら、先生にアドバイスを受けながら
それでも、週たったの、3日の勤務、それも
半日だけの、が勤まらなかった。

それでいて、月4日は自分の休みがあるのにも
かかわらず、まだ余分に休みをもらわないと
しょっちゅう風邪をひいては、ダウンし
寝込む、を繰り返していた。

家事もしなければならなかった。

でも、休みの日は、一日14時間以上寝ないと
体力精神力が回復しない。

とても、働くには疲弊して、ハードだった。

勤務先では、私の休みの日に、仕事を代わりに
出てくれる、お金を稼ぎたい、若い健康な
男性保育士や、また若い、ピチピチの20代、
60過ぎても、現役バリバリ、豪傑ばあさん!
みたいな人がたくさんいたので、代役を
買って出てくれていた。

ありがたいことに。

そういった周りの環境に恵まれるというのも
その人の今まで築いてきた、なんらかの
努力や、そういったものによって、
恵まれるという恩恵を受けるのだと思う。

周りも代わってくれなければ
自分がやるよりほかにないし。

が、たいていが、「自分がすべてやる!」
という人はまた、そういう業が、ちゃんと
備わっていて、自分が倒れたら、もう周りも
あかん、ようになるように、なんか仕組まれていて、
倒れんようになってたりする。

逆に、それが支えで、頑張れている人もいたりする。

まあ、いろいろだが。

だからと言って、安易に、頼っていたのでは、
いつか痛い目に遭う気がする。

言っているように、ずっと状況が変わらず同じ
ということは無いのだから・・。

何にしても、「変える何か」「変わる何か
自分に「作用」を起こさせるような「行動」を
とることだと思う。

「能動的」でなければ、さほど変わり映えのないもの
だから、変化は見られない。

私も経験あるが、催眠治療を一年間もつづけたころ、
「もう変わっただろう」と自分では「良い気になっていた」
ところに、女性の友人から、「あなたは何も変わっていない
という一撃の言葉をくらい、頭から火を噴いた

休火山が、いきなり活火山に

噴火

「これだけ努力して、私が変わってないだ????」
「よくもよくも
「だったら、私の努力をどれだけ知ってのことか

と、猛烈な反発心が沸いた。


が、その反発心が、良かった。

俄然それから、催眠治療に力を入れ、
石井裕之さんの、潜在意識の教材も取り入れ
自分で独学を進めていく中で、見る間に
変わっていった。
それから催眠治療を、役2年4か月?だったかな?
トータルで受け、潜在意識の教材を、また2年以上かけて
完遂したころには、もうそんなことを言う人は
一人も、周りにはいなかった。

が、途中では、また言われた。

石井裕之さんの潜在意識の教材を、やっていても
マスターできない、私は、あかんのやろうか・・・
と、弱音を、ある友人に吐いたら、
「あなたの努力て、いったい、どれくらいの努力なん?」
て、また、ビシっと言われた

また、燃えた

そういう言葉に、私は「燃え上がれ、ガンダム
のように闘志を燃やし、奮い立つ性質を持っている。

めっちゃ、弱音を吐くのに、それを指摘されると
めっちゃ、燃え上がり闘志をメラメラと

さながら、絵に、私のそのときの表情を描いたならば、
目ん玉の中が、きっと、星ひゅーまの目の中のように
炎が、メラメラ燃え上がっていることだろう(笑)

が、今は、そういったことの無い、
平坦な、平凡な毎日が、続いていて、
逆に、その平凡さに、腐りそうになるときがある・・。

だから、また、何かの「行動」を、
今度は、誰かから何かを言われたからやるのではなく
「自分が自分の将来的展望を、ちゃんと考えて
そのうえでの行動の第一歩を取る」という考えに
至った。

本来、大人になると、誰も、そんな子供みたいに
いつも、いつも、お尻を叩いてくれるものではない。

将来的なものも、身につける教養も、
社会性も、人とどう付き合うかも、
すべて、自分で学んでいかなければならない。

でないと、誰も何も言ってはくれない。

それが、大人の世界なのだ。

それが本来の大人の世界なのだ。

だから、お尻を叩かれなくなったということは
一つ自分が成長したという証だから、
そこからの一歩は、逆にむつかしいが、
どんなにゆるやかでも、どんなに、歩きだしにくくとも
自らの足で一歩を踏み出すこと、こそが肝心なのだ。

ある話を聞いた。

蝶は、サナギから脱皮するとき、
人間が、そのサナギの皮を剥いてやると
生涯飛べない蝶になる、という。

だから、絶対に、子供が自分でしようと
することを、手伝ったりするものではない。

「手伝って。お願い」と言ってきたときだけ
手伝うようにすればいいと思う。

それは逆に言えば「お願いできる」という
自主性が育っているということだから。

ということで、また、新たな自立の
一歩を踏み出すために、まずは
また、何らかの知識を自分に、与えることを
吸収し、習得していこうと考えている。

ではまた。





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