2015年10月19日

言葉の想像性・発達しょうがい

主人に、ほぼ、一週間に一回は
手紙を書いて出している。

薬を送る際に、添えているものだが。

漢方薬を主人に送っている。

その手紙に、掃除、片づけについて
私の苦手なのにやれと言うこと、
今まで努力してきた結果のこと、
目に見えるしょうがいは、
回りも気遣うのに、脳のしょうがいは
見えないなら、知らなくてもいいと
いうことですか?
と文章を送ると、週末、主人が
だまって、掃除かたづけをしてくれるようになった。

私も、しているが、何分、掃除、かたづけには
気付きが起きず、主人の何十分の一も
できない。

だいたいは、気づいているが、
父も、母もかたづけられない人で、
その気づく範囲の狭さ、
狭く深い、ことが特徴に挙げられると思う。

人より、気づく範囲が狭く、
縦に、そこを深く掘り下げていくのだ。

だから、ほかのことは見えないくらいに
その得意なことをやりだしたら
それしかしない。

なんで、これが(普通のことが)
できないのだ!
と、いくら言われても、できないものは
できないのだ。

そのことが普通の人にはどんだけ
説明してもわかってもらえず、
「できて普通」「できて当たり前のことが
なんでできないのだ」といつも
突っ込まれるからきつい。

だいたいは、文章も読めない
りかいできないと、
「なんで、この私の文章がわからないのよ!」
となる。

そう言われて、私は深く読み取ろうとする。

それほどまでに深く読み取らねばならないのか?
考えているうちに怒りの勢いも失せる。

が、怒りは、抑えこまれたわけだから
いつか、また再燃する。

そんなことは毎回だ。

忘れると、また叱られる。

これも繰り返し。

私からしたら、どうして忘れてはいけないのだ?

と思う。

それがりかいできない。

逆にいえば、「忘れる才能」もあるではないか。

が、しかし、覚えていなくていい記憶
トラウマ的な記憶は鮮明に覚えていて
忘れるということがかたときも無いほどだ。

だから記憶がいい。

これもアンビバレンツだと思うけれど、
記憶が悪いのに、記憶がすごくいい。

自分が何を覚えているかは
まったくわかならい。

だから定型だった、
発表とか、しにくい。

まったくライブ的なのだ。

そのときに出てきたものが
「私の言葉」ののだ。

ライブ感が大好き。得意。

ゴメスという発達しょうがいの
ボーカリストがいたが、
彼は、思いつくままにそっきょうで
歌を歌うが、あの感覚はよくわかる。

一発ものだし、想像的。

奇想天外な言葉が、次々に出てくる。

日常、主人と生活していると特にそうだ。

自分でも、それは面白い。

次に自分の中から何がでてくるのか
いつも楽しみ。
自分の放つ言葉が、自分で楽しみ。

またあ。
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