2015年11月17日

「あのことがあったからこそ」と喜べるだろうか?

人生の中で、一時の転落や破綻といったことは
多かれ少なかれあると思います。

だけど、「今が幸せなら過去のこともすべて
幸せになるんだ」と言った友人の言葉に
感銘を受け、私もそうなりたいと思い
種まきをしてきました。

たとえば、私なら、8年前に倒れて
記憶すらできない状態になった「あれ」を
「今喜べるか?」というと「喜べます」

たとえば、2年前くらいに「一年間引きこもりに
なってしまった」「あれ」を「今喜べるか?」
というと喜べます。

8年前の「それ」も、2年前の「あれ」も、
すべて喜べるのは「今が幸せだから」

倒れたあのとき、あきらめて「闇」
に向かったなら、今の私は無かった。

2年前、「友人の一言で」「人間不信に陥り」
「もう誰とも付き合わない!」と本当に
お蔵にでもこもった状態になってしまっていたら
今の私は無かった。

それでも諦めず、周りの人の助けを借りながらも
友人の優しさ、言葉を借りながらも、
自分で「明るいほうへ」「明るいほうへ」
と心して種まきをしてきたから、
今の幸せがあると自負します。

周りにも感謝しつつも、
そこは「自分がやったこと」と
自分のしたことを認めてやらないと
「私なんか」という低い価値観に陥りそうだから
あえて、こう言います。

そうして「努力は積み重ねの上に成り立っている」
ということや、「人と人とはつながっている」
「流れの中に人生はある」という様々なことを
学んでいきました。

そんな中、無理に人と人との間に
「立石を立てたり」「断絶したり」といった
行為をとっていると、自分と相手もまるで
わからなくなってしまうと私は思いました。

敏感すぎる人が人間関係のそれが
むつかしいのと同じで、誰の人間関係も
やはり何かしらの問題が生じており、
誰の人間関係にも苦しみはつきものだと思います。

そのなか、自分なりの努力を積み重ねていくことで
道は開けるのかな、と今思っています。

いくら、自分が苦しいのだからと言って
相手にそれを押し付けたり、聴いてもらってばかりでは
解決にならないし、きっとその状態だと、数年後も
やはり同じ行為をしていると思うから
私は、そこから卒業することに決めました。

「あのことがあったからこそ」と今を喜べるだろうか?

その「あのこと」は、とても不幸な事実を言います。

「だから今があるんだ」と思えたなら
すべての過去の不幸な現実が幸せに転じ変わります。

友人のブログは『「過去」は「自分」で変えられる!!』という
題のブログですが、今現在の種まきを変えていけば
その一つ一つを変えていけば、つらかった過去も
逆に栄光にさえ変えられると友人のブログを読んでいても
思います。

とても勇気づけられるブログですので
みなさん、よかったらアメーバーブログですが
一度覗きにいってみてみてください。

中には、めちゃくちゃ激しい、友人と私の
「バトル対決」が面白い場面も過去ブログの
記事の中にはあります。

私のは、「バトル」というよりも
問題提議で、友人を悩ませて怒らせて
ばかりですが(笑)。

よろしくです
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