2016年04月14日

幸せに生きていく方法

最近、また、取り掛かりが遅くなったり
先延ばし癖が出てきたので、また、
石井裕之さんの、『ダイナマイトモチベーション6か月month』
を、最初から聞き直している。

石井裕之さんもCDの中で言われていますが、
「覚えた」のではないのだ、「それが身に付いたかどうか」
「自分のものになったかどうか」が大事なのだ。
と。

おっしゃるとおりだ、と思います。

やらなくなったら、人はすぐ忘れてしまうし、
常時、その教えてもらったことを、「活用」
してこそ、自分のものとなり、そして
生涯使い続けることだと思いました。

それでこその学びではないかと思いました。

先日も、ある言葉を思い出しましたが、
「人間は使わない部分から退化していく」
というのはほんとうだと思います。

その努力に正比例する部分は大いにあり、
やったほどだし。

また、逆にやらなければ、その部分は、
使われないものと認知して、退化、または
抹消されるのだと思います。

進化の過程で、すでに「盲腸」
とか、「足の小指」といったものは
あまり活用されておらず、後々無くなるのでは
ないか?と言われている説も聞いたことがあります。

もうすでに、「盲腸」あたりは、無い子供が
生まれていたりして(笑)

そうして、「使わなければいらないもの」
と判断するのは、まさに正しいと思います。

かたづけをしていても、いらないものは
捨てますよね。

人間の機能のそれも、同じだと思います。

だから、極力、自分の体や、心や、といったことは
しじゅう点検して、活用されていないところはないか?

あるいは、心だったら「雑草の根は生えていないか?」
などの点検は大切だと、私は思っています。

持ち合わせている、個性は、いくら「悪」だとしても(笑)

それはそれで、また活用方法はあります。

根源が「悪」だとしても「活用方法」を変えれば
いいだけですから。

エネルギーがたとえば「単なる怒り」だったとしても、
その「負の怒り」を「自分の躍動源」に変えて
生産性エネルギーとしてしまえば、
なんら問題ないです。

ようは考え方しだいです。

もともとの「悪」も「善」もない。

「完全悪」も「完全善」も無いのですから。

自分の考え方によって、方向を、ベクトルを変えれば
いいだけです。

なんだって活用できます。

そのものを「悪用」することこそが良くないのです。

元が「悪」だとしても、それを「良い方向性」に
持っていくのも自分の考えによります。

元が「善」だとしても、良くない考えを起こすこと
だっていくらだってあります。

たとえば「良いこと」をしたのに相手からお礼がなかった。

すると「なんだあいつ!こんなにしてやったのに、
お礼の一言もない!もう二度とあいつには、何も
してやるか!!」となれば、これは、もともとの考えが
良いのにもかかわらず、「悪」を発生しているから
せっかく良いことをしても、何もなりません。

むしろ、悪い種まきをしています。

「自分も相手もお互い様。良いときもあれば
悪いときもある」

また「相手に見返りを求めないで、ただただ、
与え続けることができたなら、その人は
生涯にわたって、幸せでいられます」

「与える」という行為は「プラス」の作用だからです。

幸せも、喜びも、すべて、み〜んな、与えた人の
もとにかえってきます。

与えてもらったほうが得をする、と思わるでしょう。
たいていが。

が、与えた側のほうが、数段得をするのです。

それは、何倍もの、喜びとなって、禍福となって
自分のところに、また舞い戻ってくるからです。

それは循環となり、永遠に続けたなら、永遠に幸せに
生かされることになります。

そんな人を、周りも、ほおっておくはずがありません。

だから、ずっと幸せに生きていかれるのです。

にこっ!
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。