2015年12月14日

物事は「そう思えるか、思えないか」それだけの違い

物事は「そう思えるか、思えないか」それだけの違い。

「そう思えたなら」、物事は早いし簡単なのです。
思えなければ、いつまでも現実にはなりません。

だから、「そう思えるか、思えないか」だけの
違いなのですが、そこがむつかしい。

そう思えるようになるまでが実は、試行錯誤
ああでもない、勉強し、考え、練り、工夫し、発想し、
発案し、行動に移し、、でも、ようするに思えたらいいのですがね。

思えたなら、物事は、スイスイと、そちらへ向かいます。

起きた現実も、ああ、過去の私のあの思いが
現実になったのねえ〜と思えます。

あのとき、ああ、思い続けたこれが結果ね〜と。

で、起きてくる現実て、どれが早い、遅いってなくて
つい前日の結果が翌日来るときもあれば、10年前の
あれかあ、て(分かる人はある意味すごいですが)、
だいたい人は10年前に蒔いた種のことなんて
忘れて、忘却の彼方ですから。

はい。

でも、それが「蒔いた種」がいつか
結果となって現れてくるのです。

いつも、話しているとおりです。

で、それが良い結果なら、納得いきます。
「うん。そうか、そうか、自分の行いが良かったからだな」
「自分の成果だな」とうなずけます。

ところが、うなずけないのが、
「悪い結果がきたとき」

これは、もう「自分が過去に蒔いた種まき」とは
とても思えません。

「あいつが悪い」
「こいつのせいだ」
「あいつのせいだ」

ののしりまくり!!(笑)

けれど、他人のせいにして、他のもののせいにして
(例えば、天気に文句を言う人っていますが)
言ってもどうにもならないことを、人間て
「言いたい」のですよねえ。

本当に、困ったもんだ。

そんな無益なことは、さっさとやめて、
もっと有益なことに大切な命と時間をつかいましょうよ。

というのが、私の持つ、コンセプトでもあります。

とまあ、今朝は「思えたなら早い」
「思えるか、思えないか」だけの違い、ということに
ついて少し、話してみましたあ。

良い、一日を!

2015年12月09日

「大ケンカ」が良い結果に!

石井裕之さんの、『ダイナマイトモチベーション
6か月コース』を二週目、聴きなおしています。

つまり、『ダイナマイトモチベーション6か月コース』を
一年6か月?だったか?すでに記憶が薄れてきていますが、
かけて、完遂した教材を、また聞き直しています。

すると、聴き落したこととか、また見えてきます。

ジャーナルに、「狭いスペースなんだから、
毎日、少し書いてください」とあり、
「あ私、大量に書いていた」と気づきました。

しかも、いつものごとく「ミミズの這ったような
字だし・・」

だから、たいてい、自分の書いたもの
読み返さない、というより、「読めない」

から、「読まない」。

で、たま〜に、珍しく、綺麗に書き留めてある
文章とかも、いくつかあるのですね。

それは、見返します。

当たり前のことですが、「字が綺麗で
ちゃんと整頓されて書かれてあると」
「読める」(笑)。

「読める」と「心地いい」し
「頭に入る」のは、「当たり前」
なのだけど、その「当たり前」のことを
私は、「ことごとくしない」

なんでなんだ?と、またこの
「なぜ?」という質問を自分にする。

すると苦しい。

「なぜ?」と問うと、まるで
詰問のようになってくる・・。

自分を責め立てるような・・。

感じになり。

主人の質問のそれも、「なんで?」という
質問がよくあるが、「なんで?」と言われると
答えられないことは、た〜くさんある。

「なんで?」

「そんなのは自分が聴きたい」

みたいな〜。

「自分が知りたいよ」
みたいなあ。

だから、苦しいから、自分では
自分に、もう「なんで?」と詰問しない
ことにした。

変わりに、「どうしたらいい?」と
質問することにした。

昔から、ある方から、よく言われていた
ことだったが、できなかった。

次第に、ますます自分を責めていき、
本当にこの「なぜ?」詰問に
苦しんだ時期が割と長く続いた。

最近、気が付いたら、自分にたいして
「なぜ?」と詰問しなくなっていた。

しょせんは、自分に「なぜ?」「なんでなんだ?」
と責め立てたところで、たいした答えなんて
出てこない。

悩みの渦の中に巻き込まれるだけだ。

どうどうめぐりなんだ。

けれど、「悩み癖」のひどかった私は
この「なぜ?」の詰問を自分にかける
癖がなかなかとれず、苦しんだ。

責めなくなったのは、主人とケンカした
あたりからか?
金銭的な問題の解決に乗り出したころからか?

そうこうしているうちに、自分を責めている
暇もない、と思ったかどうか?

あれよ、あれよと言う間に、新車も購入し、
その前には、二階の自室を一気に片づける
ということをし、だんだんと今までの「清算」
作業が行われていった。

そのうち、自分を責めることも忘れていた・・。

というか、そんな感じだ。

主人とのケンカの前に、友人との大ケンカも
あったし。

ケンカは今まで良くないこと、と思い避けていたけど
ケンカして、こんなに状況が良くなったのは
生まれて初めてだ。

「ケンカするとその人との縁が深まる」というが、
なら、このことから「自分にとって、助けになるような人と」
ケンカすると、自分には「良い縁」になるのかも
しれない、と思った。

だから、今は「ケンカを、おすすめします(笑)」

あくまで、自分にとって「良い縁」になる人と
ケンカするのだったらしてくださいね。

ある程度の信頼関係を、その場合、
重ねてきている人にしてくださいね。

というわけでしたあ。

またあ。

『アラジンの魔法のランプ』に、お願いする心の準備

皆さんの前に、アラジンの魔法のランプを抱えた
アラジンが現れたとき、すぐに「3つのお願い
を言える準備はできていますか?

ふだん、何が欲しい、あれが欲しい、かれが欲しい、
とか言いながら、「一つもお願いことを言えないでは」
流れ星は一瞬にして過ぎ去ってしまいますよ〜(笑)

「チャンスの神様は後ろ髪を持たない」とも言いますよね。

「あれがチャンスだったのか!?」
と気が付いたときには、すでに遅い
ということがあります。

しかも、その「チャンス」というのは
本当に、一瞬のスキを狙ってきます。

だから直観というダイレクトな方法で
神様が、もしいたら、の話ですが、
もたらしてくれるのではないかな、思います。

が、そのチャンスも、「自分がこのチャンス
生かして、これからの人生を良いものに変えていく
という確悟を持たないと、ふいに終わることもあり得ます。

でも、まず準備のできているところに
チャンスは訪れるかなあ、と。

でも、準備ができてないときにも
チャンスは、不意に訪れることがあるので、
ご用心です。

ある程度の下準備というか、
自分が、それに向けて蒔いてきた種まきの
結果、チャンスが訪れたのだから
それは、なんとなく分かると思います。

その予感がしたら、「まっしぐらにくらいつけ
ということ(笑)

その最たるものが、私の20歳のときの出逢い

今の主人との出逢いは、まさにストレート
直球に、「成功」だったと自負して今おります

こんな風に言うと、「成功」という言葉に
抵抗を持つ、主人的には、あまり気分良くないかも
しれないが・・・

まさに、あのときが、私にとっての
「人生最大のビックチャンス」だったと言えると
今振り返っても思います

ここを逃したら、「あんたのスカポンタンなんか
拾う神あらへんで」「神も神、チリ紙しか残らへんで
みたいな、究極の「不幸」の状態だったので、
統合失調を併発して、地獄の様を見た

主人が目の前に現れたとき、
「本当に拾う神が現れた」と思ったかどうか?

それでも、ド・スカポンタンな私は
一回、主人を振ったのですよねえ。

そんな私に、逆に、くらいついてきたのが
主人。

で、ドびっくり

今時、こんだけド根性のある男
見たことない

と、現代に、もし主人が、当時の21歳の
姿で現れたら、「不幸な女を救う救世主」として
あがめられるでしょう。

限定、一名で(笑)

と、こんな、冗談とも本気ともとれる
話を主人に内緒でしていることが
バレたら、ちと怖いのですが・・。

そこは、多少、ビビりながら書いています。

はい。

なので、この文章は自分でも最高傑作品として
保持しておきたいのですが、削除したら
ごめんなさい。

いつもの掲示のごとく、早めにお読みください。

それでは、今朝は、このへんで〜。

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