2015年11月05日

大事なのは、自分が太陽であり続けること

またしても夜中起きて考えていたら
「北風と太陽」の原理にいきつき、
「自分が太陽でいること」「太陽で居続けること
という考えに至った。

「北風と太陽」の物語では、どちらが旅人の
コートを先に脱がせることができたか?
というきょうそうだったと思いますが、
それは「太陽」のほうでした。

「北風」は、強い勢いでいくら
強固に風を吹いても、旅人は、よりしっかり
コートをつかんで離さなかった。

が、「太陽」は、旅人を照らすだけで
旅人は、いとも簡単に、コートを脱ぎだしたのです。

この原理から言えることは
「いつも自分が太陽でいること」
「太陽であり続けること」

そうすれば、周りは自然とコートを脱ぎ
動きはじめ、ほおっておいても
動かずにはおれなくなる、ということ。

自分は何もする必要は無いのです。

ただ太陽として、そこにいること。

太陽として照らしだしていればそれでいいのです。

そして太陽のあるところ、みんなすべて
うまくいくのです。

笑顔で笑っていればそれでいいのです。

ただ、太陽が太陽として居続けることは
そんなにたやすいことではないと。

太陽は苦しさや辛さや寂しさ、悲しさを見せない。

太陽は輝き続ける。

そして、人々を照らし続ける。

日の光という恵みを送り続ける。

そして、最後の消滅する、息の切れぎわまで
日の恵みを与え続けるのだ。

2015年11月04日

ドラマ『無痛〜診える目』によるカウンセリング効果

カウンセリング的感覚のあるドラマは
フジテレビ、木曜、夜10時からの
『無痛〜診える目』。

境界性人格しょうがいである14歳の少女と
その少女を担当している女医さん、
女医さんを追いかけるストーカー、
女医さんと同じ医師仲間の男性医師
(この男性医師が病名が診えるのだが)、
(犯いん、←殺意などを感じ取る)も見える。

男性医師と友達らしき、警察、
これらの人の関係性で、できているようだ。

犯罪推理だけの部分ではなく、
心理的に、心動かされた。

狂気も、少し感じるが、
世の中の空気的なものも感じた。

世の中は、こういった空気感なのかもしれないと。

私の知らないところで、知らない世界が
展開しているかもしれないと。

同時に、言葉は選んでいかないと
怖いと思った。

ストーカーに、「お前は弱い人間しか
追い詰められない」と言ったがために
人が殺された。

「やってやったぞ!」と。

「見たか!」という感じだ。

また、境界性人格しょうがいの少女の
本当の病気は、胸部骨折?
のどのあたりを、親からの虐待で痛め
それで、かすれた声しか出ず、
そのことを周りに知られたくなくて
言葉を話せなくなっていた。
声を出せなくなっていた。

そのことを、男性医師は「診えた」のだ。

彼女が、怒りを出したときに。

が、本当に、その医師の「診える」は
まったく正確だろうか。

しょせんは、人間の判断か?

というところか。

誰もが、その医師の「診える」を
信じていることも、少し滑稽にも見えたが、
なぜに、みんながみんな、そんな風に
その医師を信じられるのだ?と。

そのために警官は苦悩している。

男性医師に言われ「俺に犯いんが診えるなんて」
「あんな人の痛みもわかならい人間と同じなんて」
と。

「それを思うと、いてもたってもおれない」と。

この警官は、おそらく、執拗なくらいに
がんばりやで、執拗なくらいに執着心が強くて
執拗なくらいに、潔癖なのだろう。

境界性人格しょうがいの少女に自分を重ねあわせたり
この警官とも、自分がだぶって見えた。

それらを踏まえて、その人の言う言葉や
その人にかける周りの人の言葉を
カウンセリング的に自分に聞き入れていた。

急速な効果はみられないかもしれないが、
ドラマのストーリー的にも気になるし、
これから続けて観ていきたいなと思う。

自分で気づく「自己カウンセリング」

またカウンセリング効果を感じるテレビ番組が
あった。

それは、ある映画だった。

つけたときに「これだ!」と思った。

直観で、それらの番組がどうやらわかるようだ。

その映画は不思議な感じのする映画だった。

影の無い男性。

影が、自分と離れて、単独行動をしているのだ。

が、その影が犯罪を犯している。

誰かを殺して、が、影ではなく
本体、人間のほうに責めると
「俺のせいじゃない」と言う。

が、「俺を殺してくれ」と。

「俺を殺したらら、影も同時に死ぬだろう」と。

が、その人を追い詰めた人は、
「殺さない、相棒と約束したから」と言う。

相棒は、とある機械で、影をとらえ、
本体と影をくっつけることに成功。

が、本体と影は、「もろとも」
ある家に閉じ込められてしまう。

永遠に。

そして、字幕スーパー。

謎な終わり方だった。

が、それが私の、秘めている謎な答えだと思った。

一つに、私は、自分のせいで親がケンカしている
仲良くないのだと思って自分を責めていたこと。

だからこそ、自分が許せなかった。

親が仲良くしてくれるまで、それは
子供は自分のせいだと思っているのだから
自分を許せるはずがない。

次に、どこかで、罪を犯している自分だと
いう思い。

それを罰しているのは他ならぬ自分で、
自分を閉じ込めているのも自分なのだということ。

それから最後に、「1000年の孤独」の恐怖。

これは、私の中の本当に恐怖する部分であるが、
私は過去に「1000年の孤独」を味わったことがあるか?
あるいは「1000年の孤独」あるいは「永遠の孤独」
を自から買って出ようとしているあたり。

それほどに、自分を罰しないとならないと
実は思っている。

それほどに恐ろしい自分は罪を負っているのでは
ないのだろうか?という思い。

これが自分を責め続けている。

いわゆる、「人柱」的な。

昔、川の前に「人柱」を立てたと。

「生き埋め」にしたと。

語り継がれていたが。

あの心境でもある。

みんなのために本気で「生き埋めになろうとする」
心理、それが自分で怖い。

これは一体?統合失調症の特徴なのか?
あるいは私特有の特徴なのか?

その心が、ずっと自分の中にあるのだ。

死ぬのも名誉欲だろう。

恐ろしい名誉欲だと思う。

いま、思ったが、それと同時に
それほどに「愛」がほしいのかもしれないと
思った。

今テレビで言っていた言葉だ。

テレビの中で示唆を与えていると
感じることがある。

こうやって、内面の、ひどい囚われも
書くことによって、幾分やわらぐ。

だから助かる。

こんなことまで書いていいのだろうか?
と思いつつも、誰にも言えない心を抱えている
人もいるかもしれないとも思い、書いている。

カウンセリングでも、なかなか、ここまでは
引き出せないだろう、と思っている。

自分で気づくのが一番だ。

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