2016年04月08日

「病院の怪談」

自分が、とにかく動きだせないときは、
昔から、こうして、よくこのブログに
書いて、(間を詰めるイメージで)書いて、
とにかく、行動を起こす、きっかけにしてたなあ、
て、今思い出して、また書いてます。。

まったく動けないのではなくて、
ほかのことはしているのですが。

動けないことは、ある部分では
なかなか、動きだそうとしておらず・・。

犬のこと(マルタとup!のこと)も、
このまま、放置じゃいかんなあ、と思っていて。

たちまち、狂犬病の予防注射のシーズンで。

動物病院を変えて、行きやすくしたはずなのに、
もともと、病院系列が苦手で、小さいころから。。

動物の病院も嫌。

だいたいが、面倒くさい。

先生との一連のやりとりも、注射も治療も。

私が、それを受けるのでなないのに・・。

もっと、楽しめたらいいのかなあ?

動物病院を。

あ。昨年、その動物病院へ行った際、
隣に、いた、おばさんが、ずっとため息つきながら
愚痴ばっかり言っていて。

それも嫌で、潜在的に残っているのかも?

病院の待合室すら、トラウマ。

私は、自分の持病で、20年以上も
病院通い、月に一回病院へ行っているが、
今では、さほど待ち時間も長くはないが、
以前通っていた病院など、1時間、2時間の
待ち時間など、ざらで、ひどいと、半日
あるいは、朝いって、帰りが、夕暮れ時、
なんてこともあり。

あれは、もう、病院のにおいが染みつきそうで。

その夕暮れと、病院の暗闇が、なんともいえない
くれない色に染まる、病院の壁が、なんとも言えず、
もの悲しさを誘うのよねえ。

トラウマだわ・・。

そういう意味で、病院には、私は
「怨念」(笑)があるのよ。

わはははははははは!!!!!!!!

さらに、もっと言ったら、病院の花子さん?
なんだそれ??トイレの花子さん、ちゃう?

ああ、そうともいう。

て、感じの、その「病院の花子さん」の
怨念を感じるような「もの」も
病院内で見たし。

それは、実は、鏡に映った自分の姿じゃ〜!!!

炊飯ジャ〜〜〜!!!!!

とりゃあ〜〜〜!!!!!

と、またふざけてますが・・。

その、世にも恐ろしい映像を、いまだに
私の頭の中には、格納しておりますが(笑)

いっぺん、映画にしたろか!!??

と思うものですが(笑)

「病院の怪談」とか、いかにもベタな題名で(笑)

病院で、ふつうに、夜中なだけで
リアル感、めっちゃ出てるしね(笑)

「病院」「夜中」「トイレ」「手術室」「ホルマリン」
ぎゃあああああああ〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!

あ、また、ふざけてもうた・・。

では、いつまでも〜おわらない〜ので、
このへんで、バシッと、終わらせます。

ほいでわ!!

2016年04月06日

興味の無いことは覚えられない

主人にも言ったことがあるが、
「なんで、興味の無いことを、みんな
覚えられるの?」と聞いたことがある。

私は、学校の勉強は、からっきしダメだったし
覚えられもしなかった。

せいぜい、自分の興味の沸く箇所、
いくつか、くらいなものだ。

算数ならルート計算式とか。

良い国(1192)作ろう鎌倉幕府、くらいわ覚えられるが(笑)。

なぜ「これをやりなさい」「これを覚えなさい」
と言われたところができるのか?がわからない。

私は基本、自分のしたいこと、覚えたいことしか
やらない。

できないし。

覚えようとして、苦痛で仕方ないから
途中で、いつも断念する。

学校の勉強は、いつもやろうとして机に向かうと
孤独に死にそうになるか、眠くなって、
机でうつぶせになったまま、朝まで寝て
風邪をひく、というのが毎回のパターンだった。

夏休みの宿題は、ほとんどやったためしがなく
一度は、友達の宿題を丸写しだ。

さすがに、罪悪感にさいなまれて、
それ一度きりだが。

適当に埋められるとこだけ埋めて、
あとは空欄で出していたように思う(笑)

絵日記は、夏休みの終わりに、まとめて書くし、
夏休みの自由研究も、母に案を出してもらい、
「朝顔の研究」、折り紙で朝顔を作り、
その日の朝に、いくつ咲いたか数え
咲いた数だけ、その折り紙で作った朝顔を
紙に張り付けた。

それをやりながら、それだけは、
お母さん、良いアイディア出すやん!
と母には感心だった。

その話を主人にしたら、「お前は昔から
他力本願だったんだな」て言われた。

ちょっと「他力本願」の本来の意味とは
違うのだが。。

まあ、その説明についてはまたにして・・。

ということで、今日も、夜中、一日中起きてますたあ。。

れれ?

ではまたあ。


2016年04月05日

本当の大人への第一歩は、自らの足で踏み出す!

今考えることは、同じことをしていても
結果は結局同じなので、自分を変えることが
大事と思うこと。

何かを人のせいにしたり、人に依存したり
ということを繰り返していつまでもいたなら、
変わるどころか、同じ人生どころか
同じにはならない、それは社会も時代も
変わっていっているのだから、自分ばかりが
取り残されていく形になる。

たまに同じ病気の人のお母さんなどに
相談されることがあるが。

「今は、とりあえず、自分は働けるし」
などと言う。

では、いつまでのことを言っているのだ?
と思う。

それは、ずっと自分が働けて
ずっと、自分が、その病気の子供の
面倒を見続けることができるという
前提に立ってのことだろう。

言っておくけど、状況はいつも同じとは
限らない。

自分が健康でも、旦那さんや、ほかの兄弟が
病気になる可能性だってある。

また事故に遭わないとも限らない。

介護や、いろんな問題が、生きていれば
起きてくるのだ。

そういつまでも、子供、その子の
面倒にかかりっきりで、生涯、
面倒看る気なのだろうか?と思う。

普通の健康な子供でさえ、成人式を無事
迎えるまでには、親は多大な苦労をしいられる
というのに。

それに、統合失調症を抱えた子供が、
実は、何層をもの、重ね着症候群であり
幾層をもの、病巣を併せ持ち、
その片鱗は、カウンセリングや、様々な
療法を試みる中でしか、軽減はしないというのに・・。

いや、人間関係のそれで改善するという
説もあるだろうが。

では、そうしようと思う、きっかけや
それに対する、やる気や、また経済的な費用は
いったいどこから仕入れると言うのだろう?

みんながみんな、そのように、「やる気」になる
人ばかりとは限らないと思うのだ。

私も、「依存者」であり、主人に
カウンセリングのお金を出してもらったことのある。

が、それに対する反対意見も言われ、
「カウンセリングを受けたいなら、自分で
働いて儲けたお金で受けるべきだ」との
意見もいただいた。

それができるならいいが。

カウンセリングを受けていく中で
児童館の仕事をやってみよう!

という気持ちが芽生え、それに挑戦した、
ということが起きたが。

でないと、とても、できるものではなかった。

治療を受けながら、先生にアドバイスを受けながら
それでも、週たったの、3日の勤務、それも
半日だけの、が勤まらなかった。

それでいて、月4日は自分の休みがあるのにも
かかわらず、まだ余分に休みをもらわないと
しょっちゅう風邪をひいては、ダウンし
寝込む、を繰り返していた。

家事もしなければならなかった。

でも、休みの日は、一日14時間以上寝ないと
体力精神力が回復しない。

とても、働くには疲弊して、ハードだった。

勤務先では、私の休みの日に、仕事を代わりに
出てくれる、お金を稼ぎたい、若い健康な
男性保育士や、また若い、ピチピチの20代、
60過ぎても、現役バリバリ、豪傑ばあさん!
みたいな人がたくさんいたので、代役を
買って出てくれていた。

ありがたいことに。

そういった周りの環境に恵まれるというのも
その人の今まで築いてきた、なんらかの
努力や、そういったものによって、
恵まれるという恩恵を受けるのだと思う。

周りも代わってくれなければ
自分がやるよりほかにないし。

が、たいていが、「自分がすべてやる!」
という人はまた、そういう業が、ちゃんと
備わっていて、自分が倒れたら、もう周りも
あかん、ようになるように、なんか仕組まれていて、
倒れんようになってたりする。

逆に、それが支えで、頑張れている人もいたりする。

まあ、いろいろだが。

だからと言って、安易に、頼っていたのでは、
いつか痛い目に遭う気がする。

言っているように、ずっと状況が変わらず同じ
ということは無いのだから・・。

何にしても、「変える何か」「変わる何か
自分に「作用」を起こさせるような「行動」を
とることだと思う。

「能動的」でなければ、さほど変わり映えのないもの
だから、変化は見られない。

私も経験あるが、催眠治療を一年間もつづけたころ、
「もう変わっただろう」と自分では「良い気になっていた」
ところに、女性の友人から、「あなたは何も変わっていない
という一撃の言葉をくらい、頭から火を噴いた

休火山が、いきなり活火山に

噴火

「これだけ努力して、私が変わってないだ????」
「よくもよくも
「だったら、私の努力をどれだけ知ってのことか

と、猛烈な反発心が沸いた。


が、その反発心が、良かった。

俄然それから、催眠治療に力を入れ、
石井裕之さんの、潜在意識の教材も取り入れ
自分で独学を進めていく中で、見る間に
変わっていった。
それから催眠治療を、役2年4か月?だったかな?
トータルで受け、潜在意識の教材を、また2年以上かけて
完遂したころには、もうそんなことを言う人は
一人も、周りにはいなかった。

が、途中では、また言われた。

石井裕之さんの潜在意識の教材を、やっていても
マスターできない、私は、あかんのやろうか・・・
と、弱音を、ある友人に吐いたら、
「あなたの努力て、いったい、どれくらいの努力なん?」
て、また、ビシっと言われた

また、燃えた

そういう言葉に、私は「燃え上がれ、ガンダム
のように闘志を燃やし、奮い立つ性質を持っている。

めっちゃ、弱音を吐くのに、それを指摘されると
めっちゃ、燃え上がり闘志をメラメラと

さながら、絵に、私のそのときの表情を描いたならば、
目ん玉の中が、きっと、星ひゅーまの目の中のように
炎が、メラメラ燃え上がっていることだろう(笑)

が、今は、そういったことの無い、
平坦な、平凡な毎日が、続いていて、
逆に、その平凡さに、腐りそうになるときがある・・。

だから、また、何かの「行動」を、
今度は、誰かから何かを言われたからやるのではなく
「自分が自分の将来的展望を、ちゃんと考えて
そのうえでの行動の第一歩を取る」という考えに
至った。

本来、大人になると、誰も、そんな子供みたいに
いつも、いつも、お尻を叩いてくれるものではない。

将来的なものも、身につける教養も、
社会性も、人とどう付き合うかも、
すべて、自分で学んでいかなければならない。

でないと、誰も何も言ってはくれない。

それが、大人の世界なのだ。

それが本来の大人の世界なのだ。

だから、お尻を叩かれなくなったということは
一つ自分が成長したという証だから、
そこからの一歩は、逆にむつかしいが、
どんなにゆるやかでも、どんなに、歩きだしにくくとも
自らの足で一歩を踏み出すこと、こそが肝心なのだ。

ある話を聞いた。

蝶は、サナギから脱皮するとき、
人間が、そのサナギの皮を剥いてやると
生涯飛べない蝶になる、という。

だから、絶対に、子供が自分でしようと
することを、手伝ったりするものではない。

「手伝って。お願い」と言ってきたときだけ
手伝うようにすればいいと思う。

それは逆に言えば「お願いできる」という
自主性が育っているということだから。

ということで、また、新たな自立の
一歩を踏み出すために、まずは
また、何らかの知識を自分に、与えることを
吸収し、習得していこうと考えている。

ではまた。





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